死産の赤ちゃんでもしてあげれることはたくさんある! ◆入院編◆
これは、妊娠37週4日で常位胎盤早期剥離となり、赤ちゃんを死産した私の経験を書いたものです。
ここまでの経過をまだ読んでない方は、こちらを読んでから先に進んでください。
産婦人科病棟へ
高度救命救急センターで一晩過ごし、出産翌日の11時頃、私はまた産婦人科病棟へ戻ってきました。
もうストレッチャーやベッドごとの移動も4回目です。
たった1日でこんなに行ったり来たりする患者もそうは多くないと思います。
どうやら産婦人科病棟に入るには、インターホンでロックを解除してもらう必要があるようです。
扉が開くと、赤ちゃんの泣く声が聞こえてきます。
また涙が出てきました。
これから私はこの声を聞きながら過ごさなければなりません。
愛しいはずの赤ちゃんの泣き声。
こんなにつらく感じたのはこの日以外にありません。
ありがたいことに、案内されたお部屋は個室でした。
基本は4人部屋の母子同室のようですが、こういう人も運ばれてくる病院のため、個室はできるだけ空けておいてくれるようです。
もしも母子同室の4人部屋しか空いてなかったら、私は息子と触れ合うこともできず、1人カーテンを閉め切って、誰とも話さず耳を押さえて、声を押し殺して泣いていただろうと思います。
助かりました。
排尿管が抜かれ、点滴もルートのみ残して管は外れ、あとは心電図モニターの機械と血中の酸素濃度をを測るセンサーを残すのみとなり、私は少し身軽になりました。
ベッドから起きてもよくなり、トイレも行ってみましょうと言われ、1日ぶりにトイレへ。
まだ移動は車いす。
立つと足のむくみもひどく、少しふらつきましたが、会陰部が裂けなかったおかげで拭くのも痛くないし、問題なく排泄もできました。
👩🦲「何か赤ちゃんとしたいこととか、してあげたいことはありますか?何でも言ってください。できることは全部やりましょう!」
助産師さんが笑顔でそう言ってくれました。
👩🦲「例えば、写真を撮ったり、手形や足形をとったり、お風呂に入れてあげたり」
👩🦰「全部してあげたいです!」
👩🦲「赤ちゃんお部屋に連れてきますか?」
霊安室にいないといけないと思っていたのですが、新生児ベッドの下に保冷剤を入れていれば大丈夫と言ってくれました。
後で知ったのですが、私の入院した病院では死産した赤ちゃんの場合は、体も小さいため産婦人科病棟で保冷剤で冷やして保管することになっているようです。
しばらくして、ベッドの上全体にタオルをかけられ、中が見えないようにして連れてこられた息子。
生まれてきた時は温かかったのですが、氷のように冷たくなっていました。
やっぱり息をしていない、という現実にまた涙が出てきます。
映画みたいに、この涙が息子に落ちて、生き返ったらいいのに。。。
でも、ただ一緒にいれるだけで幸せでした。
息子と2人になると、抱っこしたりチューしたり、写真を撮ったりして過ごしました。
でも、たくさん抱っこして温まってしまうのも良くないんだろうなぁと思い、抱っこは控えめに。
そして待ちに待ったお昼ご飯。
丸1日食べてなかったので、お腹はペッコペコ。
こんな時でもお腹はすきました。
産後の食事はいくら大学病院と言えど、ボリュームたっぷりだろうと思っていたのですが…。
他の方の食事を見てないのでわかりませんが、授乳する必要のない私には普通の病院食が配られました。
普段少食な方ですが、足りない。。。
後で夫に追加で食べ物をお願いしました。
死産の赤ちゃんでも、してあげたいことは全部する!
14時頃、家族みんなが面会に来てくれました。
産婦人科病棟へ入れるのは、夫、両家の両親のみです。
娘も保育園を休んで来てくれてたのですが、娘は入れません。
でも、娘にも会わせてあげたいことを助産師さんに伝えると、普通は赤ちゃんを産婦人科病棟から連れ出すことは禁止されているのですが、病棟の外の個室を用意してくれ、みんなで息子と会うことができました。
家族写真
👩🦲「イヤでなければみなさんで写真撮りますか?」
と助産師さんが声をかけてくださいました。
父は少しためらっているようでしたが、お願いしました。
息子と過ごせる時間はわずか。
できることは何でもしてあげたい。
たくさん思い出を残したい。
死産で生まれた赤ちゃんだからって、家族写真がないのはかわいそう。
みんな固い表情でしたが、私と夫、娘は笑顔で写ってました。
沐浴
みんなでのご対面の後、私と夫は助産師さんと一緒に息子をお風呂に入れてあげることに。
助産師さんは息子の名前を聞いてくれて、
👩🦲「〇〇ちゃ〜ん、お風呂入ろうね〜」
と、生きてる赤ちゃんと同じように接してくれました。
その姿がすごく温かく、すごく嬉しかった。
夫、久しぶりの沐浴!
息子はプカプカとお湯の中で浮かんで、気持ち良さそうに見えました。
かわいい♡
私は夢中でムービーを撮ってました。
温かいお湯で身体がほぐれたのか、少しうんちも出ました!(灬ºωº灬)
うんち、出るんですね!
何にもお世話できないと思ってたのに、お尻も拭かせてもらえて、オムツ交換までできちゃいました♡
少しでも親らしいことをしてあげられたことが嬉しくて、うんちをしてくれた息子をベタ褒めしてました。
手形と足形
これは絶対残したいと思ってました。
おうちに帰ってから取ろうかと思ってたんですが、なんと助産師さん、先に取ってくれてました!
手形や足形って、自分で取ろうと思うとなかなか難しいので、嬉しかったです。
添い寝
夜は一緒に1つのベッドで寝たいなぁと思っていることを助産師さんに伝えると、OKとのこと。
ただ、抱きしめて眠るのは体温も上がってしまうので、ベッドに保冷剤を敷いて、その上に寝かせることに。
隣で横顔を見ながら寝れるのは、とても幸せな時間でした。
夜中に1度保冷剤を取り替えてもらいましたが、ひと晩一緒に眠ることができました。
出産後3日目 退院
出産から丸1日が経った夜、内診してもらい、出血量も落ち着いていること、状態も安定していることから、普通なら経産婦でも3泊4日で退院となるのですが、それより1日早く退院することが決まりました。
病院にいても、周りを気にしてしまうだろうし、余計にツライだろうから、という病院側の配慮でした。
火葬までの残された時間を、私たちもできるだけおうちで一緒に過ごしたかったので、ありがたかったです。
葬儀屋さんとの打ち合わせもして、一度私だけ退院して夫と市役所などの手続きをしたあと、息子を迎えに行き、一緒におうちに帰ることになりました。
私だけ先に病院から出る時、エレベーターの中で新生児を抱っこして退院していくママを見て、涙をこらえるのに必死でした。
夫と強く手を繋ぎ、震えながら長い廊下を無言で歩きました。
息子をお迎えに
市役所や火葬場での手続きを済ませ、息子を迎えに戻りました。
亡くなった方を病院から出す時にはルールがあり、どんな箱でもいいから、入れなくてはいけないそうです。
葬儀屋さんに用意してもらっていた赤ちゃん用の棺に、助産師さんが息子を入れてくれていました。
上からは菊の模様が入った白い布がかけられ、いかにも亡くなった子が入っているということがわかる見た目。
大人なら霊安室から出るため、人目につかないルートで出れるのですが、息子の場合は霊安室ではなく産婦人科病棟でずっといさせてもらったので、ルートは2つしかありませんでした。
1つは院内を普通に通り、正面玄関から出るルート。
もう1つは院内を通りますが、まだ人通りの少ない出入口を通るルートです。
平気な顔で歩けるわけがないし、できるだけ人目につきたくないと思っていたので、出入口のルートをお願いしましたが、近くにコンビニもあるので、まぁまぁ人がいました。
業務用エレベーターを使わせてもらいましたが、それもなかなか来ないし、待ってる間も泣きすぎて嗚咽を止めることもできず、周りの視線がつらかった。
夫が棺に入れられた息子を抱えて歩いてくれましたが、夫も泣きすぎてふらふらです。
その日担当してくれた助産師さんと、産婦人科の主任さんらしき方が、崩れそうになる私達夫婦を支え、背中をさすってくれながら外まで送ってくれました。
感謝しかありません。
息子を産んだ日はあんなに暑くていいお天気だったのに、外は肌寒く雨模様。
見送ってくれた助産師さん達に挨拶をし、車に乗り込んで家へ帰ったのでした。
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産婦人科診療相互援助システムでは、早剥予防のための啓発運動を行っています。
現代の医学でも、予見・予防ができない早剥。
私達妊婦が早剥を知り、陣痛との違いに気づけることが大切です。
私が陣痛だと思い込んでしまった理由の1つに、妊娠週数があります。
妊娠37週と言えば、臨月であり、正期産に当たります。
正期産とは、妊娠37週以降41週までの出産のことを言い、妊娠37週未満での出産は「早産」、42週以降の出産を「過期産」と言います。
つまり、私は正期産での出産でした。
正期産だったがために、陣痛だろうと思い込んでしまったのです。
これがあと5日早く、早産となるタイミングであれば、早めに病院へ行っていたことと思います。
早剥は妊娠32週頃から発症しやすく、1番起こりやすい週数は、妊娠35〜37週と言われています。
38週を過ぎると早剥になりやすいピークは過ぎるそうです。
つまり臨月に入る頃が1番要注意なんです。
私みたいに、あとはもう生まれてくるだけ〜♪と呑気に構えていたら、気づくのが遅く、取り返しのつかないことになってしまう恐れが誰にでもあります。
赤ちゃんの異変に気づけるのはママだけ。
私みたいな悲しい想いをする人が少しでも減るよう祈っています。