産休育休ママのゆるっと資産形成

7歳・3歳・0歳の子がいる産休育休ママが妊娠・出産・家事・育児・家計管理・資産運用・人生を考える話。現在2,100万円運用中。子育て世代のリアルな記録。

息子 お空へ

 

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これは、妊娠37週4日で常位胎盤早期剥離になり、赤ちゃんを死産した私の経験を書いたものです。

 

ここまで、発症から入院・出産・退院・息子にしてあげたこと・死産後の手続きに関して書いてきました。

 

この記事で、私の死産後10日間ほどのお話は最後になります。

 

 

おうちでの葬儀

 

出産から6日目。

 

我が家には朝から両家両親、妹家族が集まりました。

 

義弟と姪は、息子に会うのが初めて。

 

姪はまだ1歳なのであまりわかっていないようでしたが、息子をよしよししてくれました。

 

みんなそれぞれお花やおもちゃ、靴下などを持ってきてくれて、その気持ちが嬉しかった。

 

私たちはまだ赤ちゃんだしって思ってたから赤ちゃん用のおもちゃしか用意してなかったけど、父は自分が若い頃に買ってずっと飾っていたバイクのプラモデルを持ってきてくれました。

 

男の子らしいおもちゃ、いつか買ってあげたかったんだろうなぁと思います。

 

私が小さい頃から見慣れて育ったそのバイクを、息子のためにと持ってきてくれた父の気持ちが嬉しかったです。

 

夫は息子が家に帰ってきてから、娘に対してピリピリしていました。

 

娘も弟をかわいがってるだけなのに、力加減もまだうまく調整するのが難しい2歳が息子に触れるのが、息子にとって強すぎると思ったようで、大切にしてくれてないと感じたようです。

 

娘に対して何度も怒る姿を見て、私は娘もそんなつもりじゃないこと、大切に思ってるからかわいがりたいこと、一緒に遊びたかったのに遊べなくて娘だって悲しいこと、小さいなりにちゃんとわかってくれてることなど、たくさん伝えましたが、守れなかった息子を守りたい気持ちが強すぎて、娘を敵のように感じているようでした。

 

その気持ちもわかるのですが、死んでしまった息子を大切に思いすぎて、今元気に生きてくれている娘を怒って突き放すのは悲しかった。

 

息子の死が苦しくて、つらくて、やり場のない怒りを娘に八つ当たりしてしまったんだと思います。

 

葬儀の日は娘に加えてまだ1歳の姪もいるし、ロウソクに火をつけていることもあって危ないのが気になり、また夫はピリピリしていました。

 

できるだけ娘たちが火に近づかないよう気にかけ、騒ぎだしそうになると声をかけ、夫が怒らないよう努めました。

 

 

11:00頃、お坊さん2人が来られ、葬儀が始まりました。

 

お経を聞きながら、ボーっとする私たち。

 

時折娘と姪の声が聞こえてきます。

 

2人は義弟や母とお絵かきして遊んでもらっていました。

 

お経が終わると住職が話をしてくれたのですが、何だか疲れてあまり覚えていません。

 

1時間ほどで葬儀は終わり、お布施を渡してお坊さんのお見送りに行きました。

 

息子が生まれてから毎日雨でしたが、この日は1番どしゃ降りの雨の日でした。

 

翌日の火葬の日には晴れてほしい。

 

でも息子も泣いているのなら雨も悪くないね、と夫と話しながら家へ戻りました。

 

戻ると母がお茶を入れてくれ、みんなでお茶菓子を食べてまったりした時間が流れました。

 

頼んでいたお寿司も届き、遅めのお昼ご飯を食べ、16時頃には私の両親以外みんな帰っていきました。

 

私の実家は遠いため、両親はゲストルームにお泊まりです。

 

お昼寝してなかった娘を早々にお風呂へ入れてもらい、夕飯を食べさせ早めに寝かせました。

 

 

最後の夜

 

あっという間に出産から6日目も終わりに近づき、息子と過ごせる最後の夜です。

 

夫は息子と初めてのお風呂に入り、最後にキレイにしてもらいました。

 

お風呂の後はいろんな角度から写真を撮り、ここはママに似てる、ここはパパかなぁ〜と話しながら、全く同じところを見つけては喜んでました。

 

1番似合っていたミッキーのお洋服に袖を通し、顔色もだいぶ明るくなった息子。

 

1番いい写真が撮れたので少し画像を補正してから印刷し、それを遺影にすることに。

 

4人でお昼に家族写真も撮ってもらったので、それも棺の蓋の内側に貼りました。

 

そして最後にパパとママからのお手紙を。

 

マンスリーフォト用にと作っていた用紙は、片側はお名前、片側はメッセージが書ける仕様にしていて、写真を撮る時はお名前のみ写せるよう折って、フォトフレームに入るサイズにしていました。

 

そのメッセージ欄にパパとママからたくさんの大好きとありがとうを込めたお手紙を泣きながら書きました。

 

この夜が明けたら、いよいよ息子はお空へ帰ってしまう。

 

抱っこできるのも、チューできるのも、オムツを替えてあげれるのも、明日火葬してしまうともうできません。

 

さみしい。

 

さみしすぎる。。。

 

最後の日の夜は息子を棺から出し、ベッドに保冷剤を敷いて、4人で並んで川の字になって寝ました。

 

これから毎日こんな風に寝れると思ってたのに。。。

 

 

息子 お空へ

 

朝がやって来ました。

 

時が止まればいいのに。

 

こんなに朝が来てほしくないと思った日はありません。

 

人生で1番大嫌いな日の朝です。

 

みんなそわそわして、6時前には目が覚めていました。

 

すぐに着替えて、人通りの少ないうちにお散歩へ。

 

どうしても息子にお外の空気を吸わせて、お散歩させてあげたかった。

 

外はあいにくのお天気。

 

息子も泣いているのでしょう。

 

みんなで傘を差して、ゆっくりと近くをお散歩しました。

 

家に戻って朝ご飯を食べ、最後のオムツ交換をしていると、両親がやってきました。

 

最後の朝に、4人でもう1度写真を撮ってもらい、絵本を読み、たくさんスキンシップをとりました。

 

出棺の予定時刻になり、葬儀屋さんがお迎えに来ました。

 

イヤだ。

 

行きたくない。

 

でも行かなければなりません。

 

夫が息子を入れた棺を抱え、私はお位牌と遺影を持ち、両親にはお花や私たちのカバン、娘を託して車に乗りました。

 

最後のドライブの行き先は、1番行きたくない斎場です。

 

この日もマイカーでの移動を希望していたので、葬儀屋さん先導のもと、3台で移動しました。

 

夫は自ら運転することを希望しましたが、

「あぁー行きたくない」

と泣きながら車を進めました。

 

渋滞に巻き込まれたのは、息子も行きたくないと思ってたからかな?

 

到着予定時間を10分ほど過ぎ、1番行きたくない場所に到着してしまいました。

 

火葬の前に、最後の時間を過ごせるお部屋を予約していたので、20分ほどですが最後にお顔を見て抱っこすることができました。

 

このまま息子を離したくない。

 

棺に入れて、蓋を閉めてしまえば、それで最後。

 

2度と息子に会うことはできません。

 

このまま息子を連れて外に逃げ出したくなりました。

 

でも、そんなわけにもいかないこと、頭ではわかっています。

 

火葬の時刻もせまり、息子が安らかに眠れるよう、みんなでゆりかごの歌を歌ってあげました。

 

息子を棺に入れます。

 

棺の中は、みんなが持ってきてくれたおもちゃや手紙、お菓子でいっぱいになってました。

 

葬儀屋さんから声がかかり、最後の言葉をかけ、棺の蓋を夫が泣きながら閉めます。

 

「大丈夫やで。怖くないで。パパもママも〇〇(娘)もついてるからな」

 

怖くないわけありません。

 

蓋が閉まって真っ暗で、これから熱い熱い思いをするんですから。

 

息子は私のお腹の中より熱いところなんて知らないんですから。

 

副住職がお経を唱えてくれ、最後のお焼香をします。

 

私も夫も、棺を見つめながら立っているのがやっとです。

 

息子が窯に入れられていきます。

 

私は抱っこしている娘を強く抱きしめ、やめてと叫んでました。

 

娘もこれで弟とバイバイだと察したのでしょう。

 

一緒に泣いて

「ダメー!!!」

と叫んでました。

 

扉を閉める斎場の人を止めようとする私を、夫は抱きしめ離しませんでした。

 

扉は完全に閉まり、スイッチが押されました。

 

夫、娘と3人で抱き合い、ひたすら声を上げて泣きました。

 

息子はお空へ旅立ってしまいました。

 

こんなにこんなに苦しい瞬間は経験したことがありません。

 

もう心臓が動いていないと告げられた日よりもずっとずっと苦しい。

 

もう2度と会えなくなるのに、送り出さなきゃいけないんですから。

 

しばらく窯の前から動けませんでしたが、義父に促され待合室へ移動しました。

 

それから1時間も経たないうちに、息子は骨になりました。

 

小さな小さな骨。

 

1つ1つ全てを拾ってあげたい気持ち。

 

でも直視もできない自分。

 

私は大きな骨を少しだけ拾い、夫と両親、妹達に任せました。

 

娘も

「〇〇おほねになったん?」

と、わからないなりにわかろうと必死です。

 

娘も拾いたそうにしてましたが、熱くてヤケドするのも怖いので、大人だけで拾いました。

 

夫は最初から最後までずっとお箸を握り、汗をかきながら全てをキレイに拾ってくれました。

 

細かい破片1つも取りこぼしたくないから、と。

 

お骨になった息子は、小さな骨壷に入れられ、夫に抱えられて外へ出ました。

 

外に出てみると雨は上がり、雲の隙間から太陽の光が見えました。

 

あぁ、息子はちゃんとお空へ行けたんだなぁ。

 

さみしいけど、きっとこれでよかったんだ。

 

これからはお空から私たち家族を見守ってくれる。

 

そう感じることができました。

 

疲れ果てた私たちは、父に車を運転してもらい、家へ帰りました。

 

お骨の入った骨壷を簡易のお仏壇におさめ、しばらく空虚感でボーっとしてました。

 

それからみんなで食事に行き、改めて夫からお礼の言葉を伝えてもらい、それぞれ解散しました。

 

遠方から来てくれた両親も、夕方には家路へつきました。

 

 

息子がいなくなって…

 

私は家族以外の人に会うのが怖かった。

 

しぼんだお腹を見て、生まれたことをおめでとうと言われるのが目に見えてたから。

 

娘の保育園への送り迎えも、できれば行きたくなかった。

 

出産した日は義父母に娘を迎えに行ってもらったから、保育園の先生方には息子のことを伝えてもらっていました。

 

普段迎えに来ない義父母が迎えに来たことで、遭遇したママ友は義父母から起きたことを聞いた人もいたらしいけど、1人か2人。

 

出産の4日後には娘の運動会もあったので、夫と義父母しか来ていないところを見て、生まれたんだろうなぁと想像していたママ友も多かったと思います。

 

でも、夫は仕事だし、娘の送迎をいつまでも行かないわけにもいかないので、息子の火葬の2日後から送迎を再開しました。

 

園へ行くと、園長先生と主任の先生が出てこられ、泣きながら抱きしめてくれました。

 

その温かさに、私も涙が止まりませんでした。

 

ママ友にも早速会いました。

 

やはり聞かれます。

 

「運動会来てなかったし、生まれたんですね〜。おめでとうございます!」

 

何て説明していいのやら。

 

でも、はぐらかすわけにもいかないし、本当のことを言うしかありません。

 

私の話を聞き、私より先に泣き出すママ友。

 

どんな反応をすればいいのか、何て声をかけたらいいのか、戸惑うママ友もいました。

 

そりゃそうです。

 

自分だって予想もしてなかったし、元気に生まれてくるものだと思ってましたから、どんな反応だって受け入れられました。

 

何人ものママ友に会うたびにその都度説明するのはつらかったけど、自分の気持ちを話せるきっかけがあったことで、少しずつ真っ暗闇から抜け出せたようにも感じます。

 

なかなか会えない友達には、生まれた?って聞かれる前にメールで報告しました。

 

返事をするのもしんどい時期だったので、事実だけを報告し、返事はいらないと、素っ気なく送ってしまいました。

 

みんなも返す言葉に困ると思ったし、顔を見てではなくメールだから、余計に言葉に迷うかなぁと。

 

それでもメールを返してくれる子ばかりで、中には後日お花を送ってくれた子もいました。

 

そんな心遣いのできる友達を素敵だなぁと思ったし、自分もそんな人になりたいと思いました。

 

月命日を覚えてくれていて、メールをくれた友達もいました。

 

逆に、息子の話題には触れないようにしていた友達もいました。

 

息子の命日の前日に、妊娠報告をしてきた友達もいました。

 

その時私にも同じ頃が予定日の第3子がお腹にいましたが、このタイミングで報告する気になれず、年明けまで黙っていました。

 

人の温かさ、自分の黒さをたくさん感じた日々で、感情のアップダウンも激しく、出産を来週に控えた私は、今完全にマタニティブルーです。

 

ちょっとしたことでイライラし、八つ当たりし、ナイーブになり泣く。

 

息子が亡くなった週数に近づくにつれ、どんどんアップダウンは激しくなっています。

 

お腹の張りも増え、軽い痛みを感じると尚更不安になります。

 

第3子を守りたくて、あの時の夫のように、娘に敵意を感じる時もあります。

 

娘を大切にしたいのに、何度も同じことを言っても動かない娘にイライラして怒鳴って傷つけることも増えました。

 

こんなママ、娘だって息子だってイヤだよなぁって頭ではわかっているのですが、心に余裕がありません。

 

この子が無事に生まれたら、少しは気持ちも楽になるのかなぁ?

 

不安は尽きませんが、この子を信じて、できるだけイライラせず、穏やかに、優しい気持ちで過ごしたい。

 

どうか無事に、今度は泣いても心からの笑顔でこの子に会えますように。。。

 

 

こんな長文に、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。