死産後の体のこと
これは、妊娠37週4日で常位胎盤早期剥離になり、息子を死産した私の経験談です。
これまでに、発症から入院・出産・退院・お別れまでのことを書いてきました。
最後に、死産後の私の体のことについて記して終わろうと思います。
死産でも、出産したからママの体
悪露
悪露はわりと早くに止まりました。
産後2日目までは産褥パットも1番大きい物を使ってましたが、4日目からは昼用ナプキンでも大丈夫なほどに。
1週間ほどで悪露も出なくなりました。
子宮内でたくさん出血していたそうですが、悪露は第1子の時とあまり変わりありませんでした。
母乳
産後の私の体は、これから赤ちゃんにおっぱいをあげるぞモードに入っていました。
出産した日におっぱいの分泌を抑制する薬を飲んでいたため、息子を送り出す日までは胸の張りも感じず、1滴も出ないように思えました。
しかし、産後1週間が経ち、息子を送った翌日あたりから、胸がどんどん張ってきたのです。
ついにはカチコチになり、絞らないと熱を持って痛くて耐えられないほどになっていました。
絞ると初乳らしい黄色味がかった母乳が出ます。
搾乳機を使おうかと思いましたが、たくさん絞ってしまうと、体はどんどん母乳を作り出そうとしてしまう、と聞いていたので、手絞りで圧を抜く程度に留めました。
でもまたすぐに胸は張ってきます。
1日に2回ほど手絞りを繰り返しましたが、やはり痛みがあり、近くの母乳外来を予約しました。
死産したことを事前に電話で伝えていたのですが、忘れられており、私の前に施術されていたママと赤ちゃんもまだいるお部屋に通され、幸せそうにしている姿を見るだけでもツライのに、産後の悩みとかを楽しそうに話してるのを見せつけられました。
私の順番になり、電話で話したことをメモしてるだろうと思っていたのですが、メモも取ってなかったのか、全く確認もせず、赤ちゃんは預けてきたのかと聞かれました。
電話したのも1〜2日前なのに、死産したことも伝えたのに、あまりにもプロ意識の欠ける発言にすごく傷つけられました。
そして、電話で話したことも全く覚えていないのか、謝ることさえありませんでした。
カルテ作成のために色々と聞かれ、死産したともう1度伝えたのに、フォローする言葉もなく淡々と息子の身長や体重をさらに聞いてくる無神経さ。
そんな助産師さんに心を開けるわけがありません。
むしろ死産した心のケアも少なからず期待していたのに、期待外れにも程がありました。
悔しくて悔しくて、泣きながらマッサージを無言で受け、たくさんツメの痕もつけられて痛いし、胸は真っ赤になり、しばらくはシャワーでもヒリヒリするほどでした。
プロならツメの手入れぐらいして当たり前。
2度と行くもんか。
そう心に決めました。
同じ助産師さんでも、人は人。
とても優しい方ばかりに支えてもらってきたので、わかってくれるだろうと期待していた私が悪いのかもしれません。
とりあえず胸の張りは落ち着いたのですが、また4〜5日するとパンパンになり、毎日少しずつ手絞りで圧を抜き続け、産後から3週間が経つ頃には胸の張りもおさまってきました。
入浴
シャワーはもちろんOKでしたが、入浴は産後3ヶ月以上禁止されました。
娘の産後の時はもう少し早くお風呂に入れた気がしたのですが、気のせいでしょうか。
真冬の寒い季節もほとんど湯船に浸かれず、シャワー後鳥肌を立てる毎日でした。
ゆっくりお風呂に入って癒されたい、温泉に行きたい、という思いもありましたが、先生からOKをもらえた日まで耐えました。
抜け毛
死産であろうと、妊娠中に増えた髪の毛は、産後3ヶ月を過ぎたあたりからたくさん抜け始めました。
娘にも引かれるほど…。笑
毎日毎日抜ける大量の毛、こめかみの部分ハゲは女性としてつらかったですね。
第1子の時は抜け毛の時期や生えそろうまでターバンやカチューシャ、帽子で隠せてましたから。
3ヶ月抜け続けた後、産後半年辺りからようやく新しい髪も生え始めました。
でもすでに仕事復帰していたので、周りの目線が薄い部分に向いてるんじゃないかといつも気になってましたね。
これは新しい髪が生えてもツンツンしてる間ずっと気になってたので、抜け始めてから少し伸びるまで約半年はコンプレックスを感じていました。
輸血後の血液検査
私はどうやら輸血を1.2ℓ分行ったようでした。
輸血後は、念のため感染症になっていないか検査をする必要があるそうです。
出産から3ヶ月後に採血し、感染症はありませんでした。
大丈夫だろうとは思っていましたが、万が一ということもあるので、感染してなくてホッとしました。
生理の再開
産後母乳をあげることもないので、早く赤ちゃんを授かりたい私は、生理の再開を心待ちにしていました。
早い人なら母乳をあげていても産後2ヶ月程で生理が再開する人もいますが、私は娘が卒乳した後でも、なかなか生理が再開しませんでした。
なので、今回もなかなか再開しないんだろうなぁと予想はしていましたが、死産から3ヶ月後、思ったよりも早くに生理が再開しました。
暗闇の中でようやく1つ、スタートラインに立てた気がしました。
妊活の開始
先生には、次の妊娠はできるだけ期間を開ける方が良いと言われていました。
1番リスクを回避するなら1年半と。
子宮の回復にも時間がかかり、早剥になった人は次また早剥になる確率が10倍になるそうなので、念には念を、と説明してくれました。
妊娠初期での流産とは違って、1度臨月まで膨らんだ子宮なので、回復にも時間がかかるそうです。
それにしても長すぎて、私たち夫婦には耐えられる期間には思えませんでした。
妊活していてなかなか授からなくての1年半なら仕方ありませんが、妊活すらしてはいけない1年半だと、私たちはどれだけ暗闇を彷徨えばいいのか…と。
診察のたびに何度も先生に聞き、最低でも半年、と短縮してもらうことができました。
生理が再開しても3回は飛ばすよう言われました。
よかった。
半年なら待てる。
次の子は絶対に元気に無事に出産したいから、先生の言う通りにすることを決めました。
第3子妊娠
生理が4回来て、息子を失ってから9ヶ月後。
待望の待望の第3子を授かることができました。
娘の時はなかなか授からなくて産婦人科にも通っていましたが、息子も第3子も、ほしいと思うタイミングですぐに授かることができました。
本当に本当に嬉しかったです。
でも、不安で不安で、気が気じゃありませんでした。
死産後仕事復帰するのも迷ったほどでしたが、産後8週を過ぎてもまだ復帰できる気がせず、100カ日の納骨が終わるまで休ませてもらっていました。
仕事復帰から半年での妊娠だったので、職場には申し訳ないとも思いましたが、悲しい想いをしたことを職場の方もみなさん理解してくださっていたので、1回目の病院で正常妊娠だったことが確認できたタイミングで、早めに報告しました。
仕事柄、力を使うことも頻繁にあったので、息子の時は無理して切迫早産になるまでやってましたが、今回は絶対にしないと心に決めていました。
それでもやはり、仕事、家事、育児の両立はしんどく、娘や息子と同じ妊娠8ヶ月に入ってすぐに切迫早産で休職することになったのですが。
上司にもいつまで働けるかと何度も聞かれ、妊娠8ヶ月には切迫早産になる可能性も高いことを始めから伝えていました。
息子の時は私の代わりの人がなかなか見つからず、無理せざるを得なかったので、今回は早めに報告することで、早めの人材確保をお願いしていたのですが、なかなか見つからず。
最終的には何とか確保できましたが、申し送りも最後までできない状態で切迫早産になり抜けることになりました。
そして妊娠糖尿病になり、りんご病にもなって赤ちゃんも貧血になり、4つものリスクを抱えながら、何とか36週まで来れました。
私自身も貧血になり、毎日動悸を感じながら鉄剤を飲んで過ごしています。
計画入院の日程も決まり、誘発剤を使っての計画自然分娩に挑む予定で、最後の妊婦健診を終えました。
息子を失った37週4日より、少し早めに入院することになり、ホッとする自分。
でも、今1番早剥になりやすい36週で、気を抜けない自分。
ちゃんと元気に産んであげられるのか、日に日に緊張は高まっています。
本当にあと少しの妊娠期間。
今度は産声を聞ける、幸せいっぱいの出産になりますように。。。
○追記○
泣き続けたあの日から1年4ヶ月後、無事に第3子となる赤ちゃんを出産することができました。
嬉しくて嬉しくて、たくさん泣きました。
あの時元気に産んであげられなかった息子も、お空から応援してくれていたように思います。
暗闇にいた私達夫婦を明るい気持ちにしてくれた次女、いつもたくさん笑わせてくれた長女がいてくれるから、また前を向いて歩いていける。
かけがえのない大切な存在です。
私達夫婦のところに来てくれた子ども達みんな、生まれてきてくれてありがとう。