死産から3年 失ったものと変わったこと
私は2017年10月に妊娠37週で常位胎盤早期剥離を発症し、第2子に当たる男の子が子宮内胎児死亡となり、死産しました。
常位胎盤早期剥離(以下、早剥)とは、妊娠中に起こる最も恐ろしい状態の1つで、赤ちゃんが生まれるより先に胎盤が剥がれてしまい、赤ちゃんに酸素や栄養がいかなくなって、最悪母子死亡に至るケースもある病態です。
あれから3年が経ちます。
今回はこの経験から、自分が失ったもの、変わったことについてお話したいと思います。
死産により失ったもの
誰にも変えることのできない息子
1番上が女の子だから、次は3歳差で、性別はどっちでも元気ならOKと思っていたところに、息子が来てくれました。
男の子はママの小さな彼氏とよく言われてるので、とってもとっても楽しみにしていました。
夫も家族もみんな、息子が生まれてくるのが楽しみで楽しみで仕方ありませんでした。
その息子が突然早剥によりいなくなってしまいました。
妊娠37週4日でした。
36週での出産なら早産、37週以降は正期産なので、あとはもう生まれるだけと思っていました。
自分がそんなことになるわけがない、上の子も安産だったし次もきっと安産だろう、そう思っていました。
誰にもわからないのに。
1人目の出産経験が、過信させていたのでしょう。
悲しくて悲しくて、信じられなくて、まだお腹は大きいのに、ここにいるのに…!
でもお腹の激痛が、聞こえてこない心音が、息子の生命が途絶えたことを物語っていました。
泣いて泣いて泣いて、陣痛の比じゃない激痛で、その出産に何の希望も見出せなくて、絶望感しかなくて、息子1人でお空に行かせたくない、一緒に死にたいと思いました。
でも長女がいるから、夫がいるから、さらに悲しませることはできない、私まで死んだらこの2人はもっと絶望の日々になる、そう思うと生きなきゃ!と思いました。
かわいい息子、本当に本当にごめんね。
私たちのところへ来てくれて本当に本当にありがとう。
いつでも心はあなたと一緒にいるよ。
それから毎日息子のお仏壇に手を合わせて語りかけ、お花を飾り、毎月の月命日にはケーキを買って息子の写真と一緒に家族写真を撮り、息子が生きていたら、と想像する日々を送っています。
献血できなくなった
息子の出産時、子宮内では出血していたものの、外には全然血が溢れなかったため、出血量の把握ができませんでした。
出血多量で急にショックを起こさないために、先生から事前に輸血をすることで予防しようとのご判断があり、私は輸血を受けました。
1度輸血を受けると、他人の血液が体内に入るので、もう献血はできなくなります。
まだわかっていない未知の病気が発見された時に、それが輸血してもらった人だった場合、本人の要因なのか輸血による要因なのかがわからなくなるため、輸血された人が今何の病気もなく健康であったとしても、将来的に発見されることもある可能性があるから、と説明を受けました。
輸血をしてもらったからショック状態にならず、誘発分娩で息子を出産できました。
輸血により命がけの出産を、意識を失わずに、帝王切開にならずに、産めたんだと思います。
だからこそ、私は誰かのために献血したい。
でも私の血液ではもう誰の役にも立てない。
コロナで献血する人も減っていると聞き、献血することで誰かの命を助けたいと思ったのですが、私にはもうそれはできません。
献血は人助けだけじゃなく、無料でできる血液検査。
そんな感覚で十分なので、献血車を見かけたら、痛いからイヤ〜と思わずに献血してほしいなぁと思います。
夫は注射とか苦手ですが、私が輸血をしてもらった経験から、前よりは献血に対する意識が上がったようです。
子ども達が大きくなってきたら、私は見ず知らずの人に血を分けてもらって助けてもらったんだよ、と伝えていきたいと思っています。
死産により変わったこと
死を身近に感じ、1日1日を大切にするようになった
息子を失って、たくさん生死について考えました。
何で息子がお空に帰らなきゃいけなかったのか?
何で息子だったのか?
悲しくて悲しくて、ずっとグルグルと答えの出ない暗闇の中を歩いてる気分でした。
当時2歳10ヶ月の娘は、目の前に息子がいるのに、何でずっと寝てるの?
何で動かないの?
何で冷たいの?
お空に行っちゃったってどうゆうこと?
ここにいるのに何で?
って思っていたと思います。
夫が一生懸命、ここに体はあるけど、魂がお空に帰っちゃったんだよ、だからもう少ししたら体もお空に返さなきゃいけないんだよって泣きながら説明してくれていました。
長女はその説明で理解できていたのかはわかりませんが、火葬の時に私が長女を抱きしめながら泣き叫ぶのを見て、長女も事の重大さを感じたようで、「ダメーーーーー!」と一緒に叫んで泣いていました。
元気に生まれてくるはずの息子が突然いなくなり、自分も死ぬかもという場面に直面し、初めて死を身近に感じました。
命あるものには必ず死が訪れる。
わかっていたつもりでしたが、どこか他人事でした。
残されている時間は人それぞれ。
明日も同じように朝が来るとは限らない。
そう感じてから、1日1日を大切にしよう、目標を持って過ごそう、と思うようになりました。
手帳にライフログを記したり、子どもができるようになったこと、怒っちゃったこと、子どもが頑張ってること、写真等、たくさん記録するようになりました。
もし自分に何かあっても、子どもたちが私の書きためてきたものを見て感じることがあるといいな、と思っています。
より子どもたちのことを、一緒に過ごす時間を大切にするようになりました。
救急車に乗ってもいい
それまでの私は、我が家はみんなとっても元気だし、母方の祖父は糖尿病で短命だったけど自分は大丈夫、と思っていました。
そんな根拠はどこにもないのに。
健康には自信があったんですね。
そんな私が、まさか救急車を呼ばなきゃいけない事態になるわけがない、ましてや陣痛だと思い込んでいたので、激痛でも耐えてしまい、結果息子を失ってしまったんです。
バカですね。
今まで生きてきて我が家で救急車を呼ぶようなことも1度もなかったし、祖父が亡くなった時に救急車を呼んだらしいのですが、私は実家を離れていたので立ち会えませんでした。
救急車に乗る自分を想像できていたら、息子は生きていたのかもしれませんね。
救急車を使うことは、他人事ではなく自分事。
意識があっても、出血していなくっても、激痛で動けないなら救急車を呼ばなきゃいけない。
意識があるからって、痛みを我慢すれば自分で何とかできるだなんて考えちゃいけない。
何ともできなくて後悔したって時間は戻ってきません。
「時を戻そう」で本当に時を戻せたらいいのにね。
保険の見直しで、より手厚い補償を
昨今の医療技術の進歩により、長寿率が高まっていることもあって、節約のために保険を減らす、という傾向をよく見かけます。
保険は必要最低限でいい、と私も思いますが、息子の死と自分も死ぬかもという場面になり、やはりいつ何が起きるかわからないから、その時のために保険は必要だ、と考えています。
貯蓄としての保険に対しては必要とは思いませんが、やはり医療保険はしっかり加入するべきです。
健康に自信があっても、急に事故に合うかもしれませんしね。
私は第3子である次女を出産後、保険を見直して補償を厚くしました。
ガン家系ではないけど、今は2人に1人がガンになる時代なので、子どもが社会人になるまでは保険も削りすぎず、リスクに対応していけたらと思っています。
不調を感じたらすぐ病院へ
基本的には健康ですし、今までも会社の健康診断しか受けてきませんでしたが、先日初めて大腸ファイバーをしました。
もともと過敏性腸症候群になりやすいタイプで、ストレスが溜まると便秘と下痢を繰り返す方でしたが、2週間ほど便が細く緩く、大腸ガンでは⁈と怖くなったからです。
痛みはないけど、症状を調べたら大腸ガンという名前が出てきて、恐ろしくなりました。
まだ子どもも小さいのに…と、そこまで考えてましたね。
それからすぐに病院へ行き、先生も大腸ファイバーをしましょうとおっしゃられたので、高額ではありますが検査をしてもらいました。
結果ポリープも1つも見つからず、健康な腸だったので、過敏性腸症候群という診断でした。
やはり目に見える検査をしてもらうと安心感が違います。
そろそろ数年に1度ぐらいは人間ドックも受けた方がいいかなぁと考えるようにもなりました。
高額だからなかなかまだ自分事に捉えにくいのですが、不調があった時にはすぐに病院で検査してもらって、気になる部分だけでもクリアにしていきたいと、夫婦で思っています。
妊婦さんを支えたい
最近、職場で2人の女の子が妊婦さんになりました。
年も近いことや、職場に幼児のママは少ないので、妊娠中のことの相談をしてくれています。
私が死産したことを知らない子もいましたが、私はその経験を話しました。
余計な不安は与えたくありませんが、余計な不安を一切持たずに死産した私みたいにはなってほしくないからです。
ある日、お腹が張ると相談してきてくれた子がいました。
触ってみるとまだ5ヶ月なのに強く張っていて、2〜3分張り続けている、座ってても張っている、と言うのですぐに横になるよう声をかけて、その子の上司にも私からすぐに休憩を取らせてあげるよう進言しました。
上司も「行っといで〜」と言ってくれ、横になる時間をくれました。
妊娠中って、病院に行くほどではないけど休んだ方がいいのかなと思っても、自分の感覚だけでは判断が難しいし、休憩させてほしいとは言いにくいものです。
私は看護師でも助産師でも医者でもないけれど、お腹の張りを客観的に見てあげることはできるし、それを上司に伝えることはできます。
ある子は、妊娠を伝えたのに、シフトも夜勤が組み込まれていました。
他の人よりは減らしてるから、と言われたそうですが、介護の現場で重たい人も抱えなきゃいけないし、これからつわりも出てくると仕事どころでなくなるから、夜勤は外してもらうよう言ってみたら?と伝えたところ、上司に掛け合い、夜勤を外してもらえたそうです。
妊娠すると人並みに働けないのを理解してもらえないとつらいし、無理しすぎてしまうけど、少しでも安心してマタニティライフを送れるように、自分にできることはしてあげたいな、と思っています。
見方によっちゃ、ただのおせっかいおばさんですけどね。笑
まとめ
息子を死産してすぐは、後悔と絶望感と無力感でいっぱいで、自分を責めてばかりいました。
自分の判断ミスなのに、病院のせいにしたり、すぐ帰ってこない夫のせいにもしたり、気持ちがぐちゃぐちゃでした。
あれから3年が経ち、その後不安な妊娠期間を経て生まれた次女も元気にすくすく育っています。
あの時たくさん抱きしめてくれて、私と夫の笑顔を引き出してくれた長女への感謝は忘れません。
一緒に泣き、支えてくれた夫は、以前よりも家事や育児をしてくれるようになり、次女はすっかりパパっ子です。
息子の写真を撫でれば、触った場所の感覚がまだ鮮明に蘇ります。
生まれてすぐ抱っこした時の温かさ、感触の全てを、今後もずっと覚えていられるのか不安です。
こればっかりは記録に残せない、記憶だけのものだから。
言葉では言い表せないこの感覚を、ずっとずっと忘れたくない、覚えていたいですね。
息子は私にたくさんのことを教えてくれました。
悲しい出来事だったけど、生命について、人生観について、大きく変わるきっかけとなりました。
息子、ありがとう。
息子の分も、1日1日を大切に、楽しく過ごしていきたいと思います。